瞑想のあるLifestyle

瞑想のある日常のモノ・コト・オモイについて綴っています。Keywordは『自分のモノサシ』

家族の呼び方

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コロナウィルスが出現してからというもの、

やたらとカタカナの言葉を耳にします。

 

クラスター」だの

パンデミック」だの

 

何度ネット検索したかわかりません。

 

「日本人なんだから、日本語使おうよぉ!」

と、声高に言いたいのですが、

 

そもそも、私たちの生活から

日本語の数が減ってきているのではないかと

懸念しております。

 

身近なところでは

「パパ、ママ」

 

私はテレビはほとんど観ないのですが、

 

最近、Amazon PrimeTVer

ドラマや映画を観るのにハマってしまいまして、

日本のドラマも結構観ましたが、

以前よりも

「パパ、ママ」の呼び方が多いように感じます。

 

ちょっとショックだったのは、

黒木 瞳が、西岡 徳馬や三田 佳子のことを

「パパ、ママ」と呼んでいたことでした。

 

いやまあ、

ドラマでそういう設定なのだろうから

別にいいのですが・・

 

それから、最近耳にする

「ジィジ、バァバ」

 

これもドラマの中で使われていたので、

「パパ、ママ」

と同じように

当たり前の呼び方になっているのかと思うと、

そのような家族構成が周りにいない私は

ちょっと浦島太郎状態でした。

 

そもそも

「ジィジ、バァバ」

という呼び方はどこから来たのでしょうか?

 

やはり

「パパ、ママ」

 の延長線上に出現したのでしょうか?

 

 

昔からの日本語にこだわりたい私としては、

「おじいちゃん、おばあちゃん」

「とおさん、かあさん」

などの呼び方が廃らないことを願います。

 

そもそも

家族を呼ぶときにも

「お」や

「さん」が付くって、

それだけでも年長のものを敬う心が養われ、

日常生活の中で自然と

人間形成にも役立っているのではないかと、

 

日本語って

それくらいの威力はあるのではないかと

勝手に思っております。

 

 

と言いながら・・

 

最近、

お父さんが会社経営をしており、

有名進学高校の生徒会にも所属している

とても聡明な娘さん

という親子に出会いました。

 

ちょっぴりハイソで

インテリジェンス漂うお二人ですが、

 

娘さんがお父さんを呼ぶときに

 

「とおちゃん!」

 

と言ったときには、

そのギャップがとても可愛らしく、

 

また、

久しぶりに聞くその愛らしい呼び方が、

まだ絶滅していなかったと思うと

とっても嬉しくなったのでした。