瞑想のあるLifestyle

瞑想のある日常のモノ・コト・オモイについて綴っています。Keywordは『自分のモノサシ』

21年物の “泥だんご”

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娘が10歳の頃に友達と作った泥だんご
実家でまだ健在。


なぜ、あるか…

 

母いわく

娘と友達が


「ばあちゃん、

これ大事なんやけん、

置いとってよ❗️」


と言ったから…

 

父が知らずに捨てようとした時も、

母が阻止したらしい。


娘、今年31歳

泥だんご
まだまだ健在。

 

 

わたしの父

まるで、小学生の作文のようなタイトルです。

 

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父が自費出版した本。

タイトルは

「おとうさんのかお」

当時4歳の私の娘が書いた文字です。

怪しげな暗号みたいです(汗)

 

本の一番最初には、

私が小学校2年生の時の詩、

「おとうさんのかお」

が載せてあります。


今週のお題「お父さん」

 

私の父は、何と言うか、

およそ「規格外」の人で、

「普通の人だったら・・」

というのが当てはまらない人でした。

 

筋の通らないことが大嫌いで、

猪突猛進ゆえ、

おかしなことをする相手には

どこまでも食って掛かり、

間違ったことはしていないのですが、

それゆえに敵も多い人でした。

 

この「猪突猛進」と「自分のやりたいこと」は

いつも最後までセットで動くため、

「やり遂げる」

という結果がついてきました。

 

この「自分のやりたいこと」は、

決して自分勝手なものではなかったのですが、

 

少々、スケールの大きいものの時は

必ず「人のため、地域のため」であり、

それゆえ、仕事も家庭も放り出してそちらに

「猪突猛進」し、

失敗しても失敗だと感じないため、

最後は「成功」を手にしていました。

 

(※家族は少々大変ではありましたが・・)

 

小さいエピソードでは、

 

60歳で骨折をして入院すると、

「早く治す」が

「目の前のやりたいこと」になり、

それ以外考えないため、

お医者さんの言うことも無視して

必要以上にリハビリをし、

結果、

同じ頃、同じ怪我で入院した20歳の男子よりも

早く退院するとか・・

 

音痴なくせに何を思ったか、

詩吟や民謡を習いだし、

あまりの劣等生振りに呆れた先生からは、

他の生徒の邪魔にならないよう

教室の隅に追いやられ、

それでも毎週欠かさず教室に行き、

 

また「恥ずかしい」という感情もないため、

朝は庭先で道路に向かって詩吟を大声でやってから仕事に行く。

(家族は恥ずかしい・・)

 

その結果、10年後には姪や甥の結婚式には

必ず詩吟や民謡のリクエストが来るようになりました。

 

「怖い」という感情もないため、

ヤ〇ザさんのおうちにでも、

近所の人の苦情の伝達係になる。

 

本人曰く、

「まともな事を言いに行くのに、

何の怖いことがあるんぞ。」

 

まぁ、確かにおっしゃる通りですが・・

 

エピソードを持ち出すと

親戚一族や、地域を揺るがすようなことから、

笑い話まで

有りすぎて、有りすぎて・・

 

以下に性格を列挙してみました。

 

・「規格外」

・「自分のやりたいこと以外頭にない」

 ・「恥ずかしい感情はない」

・「怖い感情もない」

・それゆえどこまでも「猪突猛進」出来る

・失敗を失敗と感じないため、結局「成功」に辿り着くしかない。

・人に対して分け隔てがまるでないので、子供から外国人まで自分から寄っていく

(※日本語以外しゃべれない)

・「人のために惜しまず動く」

(※しかし本人には人のためにやっているという感覚はない。

ただやりたいからやっているだけ。)

 

家族はそんな父を見ていて

恥ずかしかったり、

止めるのに苦労したり、

理解できなかったり、

結構大変でもありました。

 

でも今思うと、

父は本当に

「ありのままの自分に忠実に動いた」

だけだったように思えます。

 

父はある意味

「子供」

のままで、

とても

「純粋」な

人だったのだと思います。

 

もしかしたら

「昭和」「平成」

という、

人が作った常識という“枠”が

しっかり息づいていた時代では、

風当たりが強くて

生きずらかったかもしれない。

 

でも・・・

 

その風当たりさえも

本人は感じていたのかどうか (笑)

 

 

 

家族の呼び方

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コロナウィルスが出現してからというもの、

やたらとカタカナの言葉を耳にします。

 

クラスター」だの

パンデミック」だの

 

何度ネット検索したかわかりません。

 

「日本人なんだから、日本語使おうよぉ!」

と、声高に言いたいのですが、

 

そもそも、私たちの生活から

日本語の数が減ってきているのではないかと

懸念しております。

 

身近なところでは

「パパ、ママ」

 

私はテレビはほとんど観ないのですが、

 

最近、Amazon PrimeTVer

ドラマや映画を観るのにハマってしまいまして、

日本のドラマも結構観ましたが、

以前よりも

「パパ、ママ」の呼び方が多いように感じます。

 

ちょっとショックだったのは、

黒木 瞳が、西岡 徳馬や三田 佳子のことを

「パパ、ママ」と呼んでいたことでした。

 

いやまあ、

ドラマでそういう設定なのだろうから

別にいいのですが・・

 

それから、最近耳にする

「ジィジ、バァバ」

 

これもドラマの中で使われていたので、

「パパ、ママ」

と同じように

当たり前の呼び方になっているのかと思うと、

そのような家族構成が周りにいない私は

ちょっと浦島太郎状態でした。

 

そもそも

「ジィジ、バァバ」

という呼び方はどこから来たのでしょうか?

 

やはり

「パパ、ママ」

 の延長線上に出現したのでしょうか?

 

 

昔からの日本語にこだわりたい私としては、

「おじいちゃん、おばあちゃん」

「とおさん、かあさん」

などの呼び方が廃らないことを願います。

 

そもそも

家族を呼ぶときにも

「お」や

「さん」が付くって、

それだけでも年長のものを敬う心が養われ、

日常生活の中で自然と

人間形成にも役立っているのではないかと、

 

日本語って

それくらいの威力はあるのではないかと

勝手に思っております。

 

 

と言いながら・・

 

最近、

お父さんが会社経営をしており、

有名進学高校の生徒会にも所属している

とても聡明な娘さん

という親子に出会いました。

 

ちょっぴりハイソで

インテリジェンス漂うお二人ですが、

 

娘さんがお父さんを呼ぶときに

 

「とおちゃん!」

 

と言ったときには、

そのギャップがとても可愛らしく、

 

また、

久しぶりに聞くその愛らしい呼び方が、

まだ絶滅していなかったと思うと

とっても嬉しくなったのでした。

見えないものの力

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私の実家の近くに、その地域のシンボル的な存在である、標高357mの山があります。

 

一応、国定公園であり、その山頂からは、すそ野に広がる平野と海が一望でき、吹き上げてくる風とともに、とても爽快な場所で、ふもとにある、幾つかの学校の遠足にちょうどいい場所です。

 

今から10年ほど前、丁度私が実家に戻っている時に、その山の中腹辺りから、スーっと、白いものが上っているのが庭から見えました。

 

父母たちと「煙?」と話していると、ほどなく、明らかに山から火が出ているのがわかりました。

 

火の手はあっという間に広がり、消火活動のヘリコプターが来た頃には、家が一軒燃えているのに、一人の人がバケツで水をかけているかのようでした。

 

そしてどんどん燃え広がり、夜になっても山が赤黒く光り、次の日も次の日もどんどん燃え広がり、夜はとても恐ろしい怪物が襲い掛かってきているかのようでした。

 

自衛隊や消防署、地元の消防団の昼夜を問わずの消火活動もむなしく、4日目には裾野の民家は非難するまでになりました。

 

最初は人が捨てた煙草だったかもしれませんが、いつしか“自然”という魔物に変わっており、とても人の手でどうかなるものではないことは明らかで、本当に人間のちっぽけさを思い知らされました。

 

そして5日目。

 

雨が・・

 

5日目にしてようやく雨が降り、一日にしてその魔物を撃退してくれたのでした。

 

この時ばかりは、自然の恐ろしさと優しさを見せつけられたかのようでした。

 

結局、自然を制するものは自然しかない・・。

 

そして・・

 

その山火事からひと月ほどたったある日、父が、山頂にある小さな“お堂”が気になるからと言って、荒廃と化された山に登りました。

 

木も、草も何もなく、足を滑らせたり、風が吹いてよろけたら、どこまでも落ちていきそうな荒寥とした、変わり果てた山を、涙を流しながら山頂まで登りました。

 

そして、頂上にたどり着いた父の目に映ったものは・・

 

観音堂の無事な姿でした!

 

なんとお堂のすぐ手前で、四方からの火の手が止まっていたのです!

 

父はまたそこで涙を流しました。

 

見えないものの存在は、

見えなくても

やはりあるのだと。

 

そして時に、

姿は見えずとも

その力を見せてくれるものだと。

 

 

わんちゃんとおいちゃん

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動物病院のカウンターにて

 

わんちゃんを

病院に預けることになったおいちゃん。

 

「まりちゃん。

先生の言うこと聞くんよ。

四つ寝たら迎えに来るけんね。

それまで、いい子で待ちよるんよ。

わかった?

ちゃんと迎えに来るけんね。

泣かれんよ・・」

 

おいちゃんの方が泣きそうでした。

 

 

田園の中を歩くコワモテのおいちゃん。

 

「田植えしよるね。

ゆきちゃん、“田植え”言うんよ。

た・う・え」

 

お孫さんと散歩しているのかと思ったら、

腕の中にはワンちゃんがおりました。

 

 

ワンちゃんを前にすると

どのおいちゃんもカワイイ( *´艸`)

ゴージャスなカレー

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 「櫻クィーン」

という名前のカレーです。

 

自宅から15分程車で走ったところの山のふもとに

『櫻櫻』という、

カレーがメインのカフェレストランがあります。

 

中央の突き刺さった素揚げのお芋が、

「くい〜〜ん!」

と伸び上がっているようです。

 

中央にトマトのフライがあって

周りを野菜の素揚げや

エビフライが盛られていて、

食べ応えもお味も満点の

ゴージャスなカレーです。(^^)

 

あっ、

食器も一点一点、

作家さん手作りのユニークなもので、

同じものはありません。

 

広い敷地は、

季節の花や木々が植栽されており、

遊歩道まであり、

ヤギがいる!

 

 なので、

食後のお散歩にもとても心地よいところです。

 

今度はヤギの写真でも撮りましょうか・・